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伝説の覆面レスラー「ザ・デストロイヤー」若ハゲをマスクで隠し大スターに

伝説の覆面プロレスラー「ザ・デストロイヤー」。力道山と死闘を繰り広げ、64%という視聴率を叩き出した大スターですが、彼が覆面レスラーになった裏に隠されたエピソードとは…。

88歳で死去した伝説の覆面レスラー「ザ・デストロイヤー

1963(昭和38)年に初来日。力道山と対戦し空前のプロレスブームを起こした。日米通算約8500試合の中でも力道山は最高の対戦相手だったという。「彼の空手チョップは他の誰のよりも強烈だった」。
出典 デストロイヤーさん死去、88歳 子ども妻に囲まれ
米バファロー出身のデストロイヤーさんは1954年に素顔でデビューしていたが、62年に白地に赤の縁取りを付けたマスクを装着し、覆面レスラーの「デストロイヤー」として変身後に大ブレーク。同年にブラッシーを下してWWAヘビー級王座を獲得。63年には日本プロレスに初来日し、力道山と対戦した。特に同年5月24日、力道山とのWWAヘビー級王座は平均視聴率64%をマークした。
出典 ザ・デストロイヤーさん旭日双光章「日本のファンの前でマスク脱がない」 - スポーツ - SANSPO.COM(サンスポ)

外国人プロレスラー初の旭日章

覆面レスラーとして日本のプロレスファンを沸かせたザ・デストロイヤー=本名・リチャード・ベイヤー=さん(87)が、平成29年秋の外国人叙勲で旭日双光章を受章した。
出典 【平成29年秋の叙勲】旭日双光章受章のデストロイヤーさんインタビュー 引退から24年、いまの生活は? 「力道山がナンバーワン」 (1/5ページ) - 産経ニュース
外務省によれば、外国人プロレスラーで旭日章を受章したのはデストロイヤーが初めてとのことである。力道山ジャイアント馬場アントニオ猪木と死闘を繰り広げたデストロイヤーも、引退して24年が経つ。
出典 「白覆面の魔王」外国人プロレスラー初の旭日章【二宮清純のスポーツ一刀両断】 | 日刊大衆

日本のテレビ視聴率歴代2位が「力道山VS.ザ・デストロイヤー

視聴率トップ50の中にプロレスの試合は2試合だけ。つまり、日本のテレビで放送されたプロレスで最も見られている2試合ともザ・デストロイヤー戦なわけです。

1つが1963年の対力道山戦で64.0%。なんとこちらが歴代視聴率ランキングで2位。(ちなみに1位は1963年に放送された紅白歌合戦で、この時の視聴率81.4%)。2つ目が1965年の対豊登戦で51.2%。
出典 昭和の名プロレスラー、ザ・デストロイヤー誕生の裏に「ハゲ秘話」あり : ハゲルヤ - ハゲと向き合うウェブマガジン
66年7月のザ・ビートルズ日本公演の視聴率が56.5%。当時のプロレスは、まさに国民的行事だったのだ。
出典 “白覆面の魔王”が旭日章を受章【二宮清純のスポーツコラム】 - エキサイトニュース(1/2)

覆面レスラーになった理由は「若ハゲ」だったから

「白覆面の魔王」というニックネームを持っていた彼が覆面を被っていた理由。それは・・・若ハゲだったから!
出典 昭和の名プロレスラー、ザ・デストロイヤー誕生の裏に「ハゲ秘話」あり : ハゲルヤ - ハゲと向き合うウェブマガジン
様々なスポーツで前歯が2本欠け、おまけに若ハゲだったことからプロモーターが“マスクを被れ”と覆面レスラーに仕立てたのです。しかし、これがきっかけでブレイクしました
出典 覆面レスラー「ザ・デストロイヤー」に旭日双光章 本人語る | デイリー新潮

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食事の時もマスクを外さなかった

有名なのは、覆面レスラーのイメージを守るため、シャワー以外は決してマスクを外さなかったことだ。全日本プロレス名誉レフェリーの和田京平氏が振り返る。「ご飯を食べる時もマスクをしたまま、車に乗るときもマスク。一度だけ、見知らぬ外人がシャワー室から出てきたのを、まじまじと見たら“ボクだよ”と言うので分かったことがありました」
出典 覆面レスラー「ザ・デストロイヤー」に旭日双光章 本人語る | デイリー新潮

旭日双光章とは?

旭日章は大綬章を筆頭に重光章、中綬章、小綬章、双光章、単光章の6等級に分かれており、双光章は旧制度下では「勲五等」に相当する。いくつかある授与基準の中で、デストロイヤーに該当するものがあるとすれば、(4)の「文化又はスポーツの振興に寄与した者」だろう。
出典 “白覆面の魔王”が旭日章を受章【二宮清純のスポーツコラム】 - 日刊大衆

「私や家族は日本でとても良い時間を過ごさせてもらった」

--叙勲の一報を受けたときの感想は

「最高だ! 私や家族は日本でとても良い時間を過ごさせてもらった。3人の子供たちは学校に通い、友人も多くできた。旅行にもたくさん行って、平均的な日本人よりも多くの経験ができたと思う。たくさんの出会いがあったし、ジャンボ尾崎とゴルフもしたよ。子供たちはみんな日本語が話せるのに、私はあまり理解できないのが少し残念だ」
出典 【平成29年秋の叙勲】旭日双光章受章のデストロイヤーさんインタビュー 引退から24年、いまの生活は? 「力道山がナンバーワン」 (1/5ページ) - 産経ニュース