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「ハゲ天」と「はげ天」が全く別のハゲから生まれた天ぷら屋だった件

日本各地にある天ぷらチェーン「ハゲ天」。そして今や豚丼がコンビニでも売られるほど有名になった「はげ天」この2つのお店が全く別のハゲが作ったお店だったってご存知でしたか?

「ハゲ天」と「はげ天」は全く別の店だった

ハゲ天

関東14店舗・中部1店舗・関西3店舗の天ぷらチェーン「銀座ハゲ天」。デパートや有名ショッピングモールでよく見かけます。店舗以外にも、デパ地下のお惣菜コーナーなどに展開しており、全国93店舗の一大チェーン店です。

はげ天

こちらは帯広の名店「はげ天」。今や豚丼が超有名で「ぶたはげ」というお店を3店舗出しています。

豚丼はお弁当になってセブン-イレブンで全国流通するまでに。

同じかと思いきや、全く別の店だったんですね。

銀座ハゲ天の由来=創業者がハゲ

銀座ハゲ天の創業は昭和3年。今から80年ほど前に東京の九段で「多か良(たから)」という屋号で渡辺徳之治氏が店を立ち上げたのが最初だといいます。当時の常連客には水上滝太郎(作家)、桂三木助(落語家)、吉川英治(作家)、泉鏡花(作家)など、錚々たるメンツが揃っていたそうで、なかなかの人気店だった模様。
出典 ハゲルヤ
1928年、東京の九段で天ぷら屋を始めた時の屋号は 「たから」。 ところが初代の店主、渡辺徳之治は完全なハゲ頭だったので、お客様からは「ハゲの天ぷら屋、ハゲ天」としか呼ばれず、翌年銀座に進出する時に思いきってこの「ハゲ天」を屋号にしました。 その後、お客様に覚えていただきやすい名前としてこの屋号は広く浸透し、現在に至ります。
出典 銀座ハゲ天ホームページ

帯広はげ天の由来=創業者がハゲ

 

帯広の「はげ天」は昭和9年に小樽で創業。初代の矢野省六氏がハゲていたため、小樽中学の先輩が「はげ天」と、名付けてくれたものなのだとか。
出典 ハゲルヤ
小樽から帯広に移転し評判が立ち始めた頃、戦争のために省六さんが出兵。戦後、物資の少ない中でなんとか再スタートを切り、軌道に乗ったのは昭和30年代に入ってからだといいます。そして創業から80年以上を経た、現在。天ぷらはもちろんですが、帯広の名物にとはじめた豚丼が人気を得ているのです。
出典 トカチナベ
豚丼誕生初期から仲間数人と豚丼を普及させたひとりが、私の祖父にあたる初代「帯広はげ天」矢野省六。祖父は試行錯誤を重ね、豚丼のぶたはげの味の源となる「豚丼のたれ」を作り上げました。
出典 豚丼のぶたはげ
はげ天が小樽で創業したのは、昭和9年。その後、帯広に移転してからは、天ぷらはもちろん、帯広の名物になれば……とはじめた豚丼が話題に。評判が評判を呼び、いつしか看板メニューになったのです。
出典 Domingo

天ぷらだけでなく、豚丼を普及させたのもハゲ。ハゲは偉大。

銀座ハゲ天、3代目社長もちゃんとハゲ

https://in-shoku.info/foodfighters/vol337.html

ハゲ天は現在3代目の渡辺徹社長が率いていますが、祖父から受け継いだDNAなのか、屋号の通りのアタマをされています。これからは、天ぷら食べるならハゲ天ですね。
出典 ハゲルヤ

帯広はげ天、3代目社長はハゲてない

https://e-kensin.net/news/140575.html 

4代目もハゲてなさそう。

「ハゲ」がつくお店で最も有名と言っても過言ではない「ハゲ天・はげ天」。これからも全国のハゲを勇気づけるべく、美味しい料理で盛り上げていただきたいですね。
出典 ハゲルヤ